紙と万年筆

紙とペンで日記を書く習慣が身についてきた気がする。携帯で文字を打ち込むと消したり書いたりが容易だ。その書き直しの手軽さゆえに最初と書きたかったことが違う方向に向かってしまうことがある。文字にして整理をつけたい時はこうして携帯に打ち込む、思っていることをなんとなく書き留めておきたい時は紙に書く、みたいな使い分けになってきた。

 

万年筆は友達から誕生日プレゼントでもらった。ボディの色が自分の好みの真ん中でびっくりした。今からそんなことは考えたくないがいつか疎遠になったとしてもこの万年筆を見るとその友達との楽しい日々を思い出すと思う。ちなみにその友達にはカシミヤのマフラーを贈った。ケアをしたら一生使えるモノなのでぜひ末永く使って欲しい。来年は旅行をプレゼントにしたい。使ってみて初めて知ったのだけれど万年筆はボールペンと違い、出るインクに濃淡がある。インクの種類によっても色が異なるらしいのでお気に入りのインクを見つけたい。とは言っても万年筆のインクは使い切るのに時間がかかる。日々、読書記録にメモ、そして日記にも使っているのに一本使い切るのになかなか時間がかかった。先日、間違えて青色のインクを入れてしまった。使い切るのにいつまで掛かるだろうか。しばらくは青い文字と生活だ。青い文字といえば青文字の方が暗記しやすいという話を聞いたことがある。真相を知りたい。

 

最近アジカンにハマってる。アジカンでイントロクイズを作ったらかなり難しいと思う。あとkan sanoが作る曲がいい。タイのバンコクを拠点にするrocket man というインディーシティポップのバンドを見つけた。良い。今までシティポップは少し敬遠していたけどもっと聴こうと思った。最近流行っている10年代ボカロみたいな音楽を聴くと昔のイケすかない自分を思い出して(今もイケすかないかもしれないが)胸がチクリとする。去年くらいからメロウなポップスが流行り始めている気がする。所謂チルとかエモが流行り始めた影響だと思う。多分エモいはもう死語だ。こうして言葉は生まれては消えて生まれては消えていくんだな。

 

最近は何事ももっと余白の使い方を上手にしたいと思う。写真も、インテリアも、文章も、服も時間もそう。足すのは意外と簡単だけれど引くのが難しい。写真や服みたいなものは目に見えるけれど文章は特に難しい。書かないことで表現できる世界があるんだろうと思う。けれど書かないのにどうやって表現するんだとも思う。