名前

名前は不思議だ。誰が空から降ってくる液体に雨と名付けたのだろうか。偉い人が「これは雨です」と言ったわけではないだろうになぜ人々はこれを受け入れたのだろうか。実際のところは何か雨の元になる単語がありそれが紆余曲折を経て今の形になったのかもしれない。不思議だ。名前には力があると思う。魔力とも言えるかもしれない。例えばお弁当には必ず入っているバラン。緑色をした草むらみたいな形のアレだ。バラン、という名前を知らなければそれは「緑色のアレ」にすぎない。なので気にも留めないし記憶にも残らない。けれど名前を知ることによってそれははっきりとその人の世界に登場することになる。今まであやふやだった存在がはっきりとした輪郭を持つようになる。物事の名前を知ることは世界の解像度を上げることだ。世界の解像度が上がると日々の生活が楽しくなる。物事を学ぶことは世界の解像度を上げる。自分の興味のあるまだ見ぬ世界を学ぶのもいいけれど自分の興味とは真逆の分野を学ぶことも忘れずにいたい。自分の興味のある分野ばかり学んでいては視野が狭くなる。近くばかり見ていると目のピントが合わなくなるのと同じだ。その分野での解像度を上げるためにはなるべく遠い分野も覗くと良い気がする。自分は好きなものだけを追求しすぎてしまう節がある。いろいろ分野を少しだけ追求する、というのは中途半端だし味気ない。なので好きな分野を追求する力の20%くらいの力で自分の興味とは遠い分野も追っていけるといいなと思う。

趣味が増えそう

キャンプに行きたい。北海道はこれから冬なので無理なので春になって暖かくなってきたら行きたい。雪中キャンプも一度は行ってみたいと思うけど初心者にはハードルが高い。積ん読がたまってきたら2日分の食料を持って山や川や海に行きたい。個人的には海キャンプが好き。虫が少ないのが高得点だ。それに海辺から眺める夕陽もしくは朝陽は格別だ。炭が燃える音を聞きながら本を読みたい。ホテルに籠もって読む本も良いけどやっぱり火を目の前にした読書は最高だと思う。火を見ると落ち着くのは細胞に染み付いた原初の記憶だろうか。早めに床について日の出の前に起きたい。寒さに震えながら火を起こし暖まる。そうしているうちに日が昇るだろう。日が昇ったら散歩をしたい。朝の山は空気が澄んでいるに違いない。パリッというかキリッというのか朝の澄んだ空気を目一杯に吸い込みたい。朝は炭火で焼いたウインナーをホットドッグにして食べようと思う。昼前にはキャンプ場を出てその地域の温泉なんかに行けたらいい。食堂でカツカレーを食べられたらもう最高だ。早くキャンプをしたくなってきた。

サラダ記念日

 

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 

部屋は和室。よく晴れた日だ。気温は28度くらい。梅雨が明けてカラッと晴れているだろう。数畳しかない狭い部屋でエアコンはない。扇風機が一台ある。洗濯物なんかが干してあって生活感がある。丸くて茶色いテーブルに向かい合って食事をしている。おそらくこの2人は恋人なのだろう。もしくはかなり親しい仲だと思う。同棲を始めたばかり、もしくは付き合ったばかりで初めて恋人が家に来た。恋人のために料理を作った。メニューは誰もがすきなハンバーグ、豆腐の味噌汁に茶碗一杯のご飯。そしてサラダだ。7月6日、なんでもないただの7月の中の1日に過ぎない。そんな平凡な1日が「君」の「この味がいいね」の一言で特別な日に様変わりする。読んでいて気持ちが明るくなる、心を温めてくれる短歌だと思う。俵万智さんの短歌は何気ない日常をカメラで撮るように作られている気がする。自分も見たのではないか、感じたことあるのではないかと思わせる。何気ない日常、平凡な1日が特別な1日に変わるそんな瞬間に立ち会ってみたい。

コートの調子がいい

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千鳥格子のコートはかなりクラシカルになる。ツイードのジャケットがほしい。ベーシックなデニムが欲しくなってきた。やっぱり501は一つ気に入ったものを持っておきたい。501探しの旅をはじめよう。マフラー、白シャツ、財布、Levi's501、ツイードのジャケットをしばらく探そうと思う。白シャツ問題がかなり根深い。前に集中的に調べてこれでアガりだと思える逸品に出会った。値段は3万円高くするけどなにも言うことがないシャツだった。けれど白シャツって漂白にかけても汚れは完璧に落とせないし消耗品なのでは?と思ってしまったので振り出しに戻った。1万5000円くらいが良い。が、その価格帯はセレオリにしかない。困った。501は新品じゃなくて古着を買おうと思う。リジットはかなり気に入ってるのが一つあるからね。501の理想はかなり色落ちした薄い水色がいい。ちょっとそこまで行く時やラフに整えたい時に履きたい。黒のコーデュロイのジャケットに色落ちした501は似合う気がする。ツイードのジャケットは少し大きめに着たい。昨今のビックサイズはまじでイケすかね〜と思うので基本的にジャストサイズで着たい。けどツイードのジャケットはジャストサイズで着るとかなり角ばった印象になるので気持ち大きくするくらいで着ようと思う。財布はもうそろそろアガりが見えてきた。買い物するために東京行こうかな。

日記

マスタード色の服を買った。くすんだ黄色。ブックオフで本を買うついでに何気なく二階を除いた時に見つけてしまったのだ。普段は覗かないのになぜかこの時は覗いてしまった。春に服をだいぶ捨ててからというもの今年は本当に黒・紺・グレーの服しか買ってない。おそらく親が見たら「また同じような服を買って…」と言うはず。自分としては似たような色なだけで形は全く違うので満足している。そういうわけで黒や紺それにグレーの服ばかりに囲まれている。そんな色の服に囲まれていると色物が欲しくなる。それもパキッとした色の。少しクセのある柄物でもいいかもしれない、とも思うようになる。


自分に価値があるかどうかを他者からの評価で決めるのはとても苦しい。最近は少しマシになってきた。他人からどう思われるか、なんてことを気にしていると本当にキリがない。あれもこれもと気になってくる。自分の評価軸は他人に委ねるべきじゃない。服なんかはまさにそうだ。他人からの意見を気にしていると何も着ることができない。結局は何事も自分の中の評価軸で決めるしかないのだ。自分の気分が良くなるか、後悔はしないか、みたいなことを延々と自分に問い続けるしかない。まずは自分を信じること。それが大事だと思う。だけどこれが一番難しい。100%とは言わないけれど、20%くらい信じることができたらいいなと思う。

冬に夜。北海道は寒い

冬は好きだ。雪が音を吸い込むのか街が静かになる。夜も好きだ。昼間の喧騒を忘れられる。でも冬の日照時間の短さは困る。夜は好きなので夜が長いのはいい。困ってしまうのだ。日照時間が短いことが嫌なのではなく困ってしまう。まず日にあたる時間が短いと少しずつ気分が暗くなる。それは自分でもわからないくらいじわりじわりとすすむ。北欧では自殺率が高いらしい。日照時間が関係しているとか。人間は夜でも人工的な光に煌々と照らされているがやはり日光でなければいけないらしい。なので意識して太陽の光を浴びる。ただそれでも気分が暗くなるのは避けられない。気分が暗くなると言っても死にたくなるわけじゃない。何かをするのが億劫になる、何事にも消極的になる、みたいな些細なことが積み重なる。些末なことが積み重なって結果として全体がマイナスに傾くといった具合だ。死にたくなった時の対処法はある。温かい風呂、うまい飯、たっぷりの睡眠だ。しかし全体がマイナスに傾くとそれだけでは解決できない。些末なことが積み重なってマイナスになっているので些末なことを積み上げてプラスに持ち上げるしかないのだけれどこれが難しい。今のところ毎日長めに風呂に浸かる、気分の明るくなる文章を読む、自分のことを考えすぎない、くらいしか思いつかない。長い冬に備えてもっとしっかりした解決策を見つけたい。次に困るのが寒さ。日照時間が短く夜が長いと寒い。昼間も寒いが夜はもっと寒い。0度くらいまではいい。冬らしいと思う。-5度までくるともう結構ですと思ってしまう。ここまでくると風呂がすぐ冷めてしまう。長風呂も楽しめない。散歩もなんだか億劫になる。冬は他の季節と違って色がない。春は鮮やかな花々、夏は濃い緑、秋は紅葉の黄色や赤。北海道の冬は真っ白だ。あたりを見渡す限り白い。それがいいと思うこともあるが散歩には向かない。どこを見ても景色が変わらないと味気がない。窓から眺めているくらいが丁度良いなと思う。それに辺り一面が白くなるくらい雪に覆われた時は歩くのも一苦労だ。風呂上りに散歩に行こうと思っても日の入りが早いので風呂に入る頃には既に暗い。南無三。とにかく北海道の冬は散歩に向かない。今年はまだ雪が積もってない。いつになるだろうか。

日記

 

読書日記をつけはじめた。いい。いいなと思った箇所に付箋をつけて読み終わった後にまとめて書き起こすのが功を奏した。形から入ったほうが気分が乗るのでモレスキンのノートを買ってみた。これがヘミングウェイゴッホの様な芸術家も使ったノートかと思った。紙質は大したことなかった。日本製のノートの方が幾分か質がいい気がする。今回はまずは形から入るのが目的だったのでよしとした。

 

自分の思考の底が浅くて嫌になる。

 

良質な文章にたくさん触れたい。

 

自分が考えることはだいたい直接的にはなんの役にも立たないことが多い。もっと有益なことを考えたいが有益性に囚われると不幸になる。

 

まだ文章を書く量が足りていないので文体が定まっていない。直近で読んだ本の文体に引っ張られてしまう。最近はエーリッヒフロムや森博嗣のエッセイを読んでいるので最近はなんだかきっちりしている気がする。それと文章を読む量が足りていない。あと偏りがひどい。人の本棚を覗いて気になる本を拝借できたら楽しそう、と思った。

 

自分はないものねだりがひどい。それを持つ人を妬んだことはないが羨ましいとよく思ってしまう。ショートスリーパー、新しい物事にすぐ挑戦できること、物事に執着しすぎないこと、全部自分にはないものだ。ほしい。ないものねだりをやめた方が人生を楽しく過ごせると思う。やめたいと思うがやめられる兆しが見えない。自分に満足できたらやめられるのか?と思うけどそんな日は一生こない気がする。手にしているもので楽しく過ごせるように心がける、くらいしか具体的な解決方法を思いつかない。

 

これから毎日欠かさずなにかしら文章を書くことにした。たくさん書いたら自分の納得のいく文章が書けるようになる気がする。三日坊主にならないようにこまめに進めるようにする。

 

来年、小説を一本書こうと思う。まだ設定もなにも考えてないが秋から春までの物語を書こうと決めた。意識しなくてもこれは秋でこれは冬とわかるようにするのが難しい気がする。時の移ろいがうまく書かれているといい小説だと思う。書いたからには誰かに読んでほしいがとてもじゃないけどくさくて読めない気がする。そを避けるために客観視する必要がある。書いてはすぐは客観視できないと思うので何ヶ月か置いて読み直して読めたら誰かに読んでもらおうと思う。